原野新聞 vol8 1997 春号

ありがとう山田さん

 こんにちは、ぼくは屈斜路原野ユースゲストハウスの名犬しょう太ですワンワン 。今回はとっても悲しいお話から始めなければなりません。知る人ぞしるあの山田さんが2月13日四国のお山で雪崩の下敷きになって亡くなられました。ぼくの大大大好きな山田さん、いつもいろんなところへ連れていってくれた山田さん、ぼくより山の中を歩くのが上手だった山田さん、その山田さんがこんな事になるなんてワオ〜〜ンワオ〜〜ン、悲しくってこれ以上ワープロを打てないので今回だけは和さんに交代してもらいます。 はいはい、しょう太がこれ以上つらくて書けないと言うので私が代わりにお話を進めて参ります。という私も正直なところなにからお話ししていいかわからなくらいの心境でありますが、とりあえず山田さんを知らない方のために少しお話してみたいと思います。  山田さんは48歳という年齢でありながら、人並みはずれた体力と自然のことなら何でも知っているという筋金入りの山男でした。また、それだけの知識を持っているにもかかわらず、いつも私たちと同じ目線でいろんな自然の話をしてくれる方でした。94年95年の夏、ヘルパーを努めていただけたことは私たちにとって大変幸せなことでした。山田さんはたくさんの旅人を山や川に導き自然の素晴らしさを全身で伝えてくださり、多くの感動をたくさんの旅人に与えてくれました。山田さんがいなければ今の屈斜路原野ユースゲストハウスはなっかたのではないかと私は思っております。以下山田さんの訃報を記した愛媛新聞の記事を紹介したいと思います。

笹ヶ峰で雪崩 死亡
 十三日午前十時頃、石鎚山山系笹ヶ峰山頂に近い西条市藤之石の山小屋丸山荘から「雪崩があったようで、人が遭難したらしい」と西条署に通報があった。警察ヘリと県消防防災ヘリで現場に到着した同署の山岳警備救助隊員八人が同日午後三時すぎ、標高約一五〇〇bにある丸山荘の東五百bの斜面で男性の死体を発見、収容した。調べでは、滋賀県大津市中庄二丁目、元会社員山田謙さん(48)とみられる。現場付近は深いところで約一.五bの積雪があり、一〇b四方にわたって雪崩が発生した跡があった。遺体の状況などから、九日から十一日ごろにかけて雪崩に巻き込まれ凍死したとみている。
 知人らの話では、山田さんは山中に設置されている無線通信用反射板の氷雪付着状況を調べるため、一月二十日から約一ヶ月の予定で笹ヶ峰にはいり、山頂近くの高知県側にテントを張って作業していた。西条市側の丸山荘には週に一度程度の割合で下り、物資の補給など行っていたという。知人は、丸山荘に向かう途中だったのではないかとみている。
   十一日に約束していた山田さんからの電話連絡がなため心配して登ってきた山仲間の高知市農人町、同県職員大野洋史さん(33)が十三日午前九時頃、雪崩の跡とザックを発見した。大野さんは「現場付近はこれまで雪崩が起きたことがないと聞いている、かなり上から雪崩が起きたようだ」と話している。
以上、
一九九七年二月一四日
愛媛新聞より抜粋

山田さんが屈斜路原野に与えた多大なる影響
 二月十三日はXCスキーの引率で美幌峠に私はいました。正午ごろに携帯電話が鳴り、中途半端な時間に電話が鳴るなと思って受け取ると、「たった今、松山の大沢さんから電話があり山田さんが雪崩にあって遭難したというニュースが四国で流れている」と裕美子があわてて知らせてくれました。嘘だろ!と思いたくなるような話に愕然としながら、山田さんの事だからきっとどこかで生きているよなと、ちんぺいさんと密かに励まし合い、いつになく駆け足でツアーを終わらせました。YGHに帰ってから「生きてて」と祈る気持ちで情報収集に勤めましたが、その願いも届かず、一番悲しい知らせを聞くことにまりました。
 通夜は十五日に葬儀は翌日午後二時から行われました。YGHから代表として、私の父が参列いたしました。その他に通夜にこの知らせを受けて駆けつけた、大山君、としちゃん、三木さん、三吉さん、通夜と、葬儀に竹ちゃんのお兄さん、留美子さんが参列してくれました。通夜では、YGH代表として大山君が弔辞を読み、大変心のこもった弔辞であったと聞いております。また、葬儀では山田さんの愛用のカヌーに棺が乗っていたそうで、山田さんらしいなと思いつつ目頭が熱くなりました。
 山田さんが初めて屈斜路原野にやってきたのは九四年の四月のことでした、知床の山にこもっていたらしく、雪焼けした顔でYGHの玄関をくぐってきたことを今でもよく覚えております。初めて出会ったときは「癖の強そうなおじさんがきたな」思ったのですが、夜話をしているうちに山田さんの魅力に引き込まれていってしまいました。山田さんもYGHが気に入ってくれたらしく、特にしょう太と散歩に行くのが楽しかったようで、「こいつはいい犬ですね」としょう太を大変かわいがってくれました。 山田さんがホステラーの頃私に、二つのプレゼントをくれました。それは、カヌーの面白さ川の美しさを教えてくれたこと。山奥の滝を一緒に探しに行って山歩きの楽しさを教えてくれたことです。また、恥ずかしい話ですがしょう太のようにホステラーの後をついて歩くペアレントも非常に珍しいと自分で思いましたが、しょう太と一緒に後をついて歩いたことを覚えています。
 山田さんは六月の上旬に自分のカヌーをもって再びやってきて、私とカヌーや山歩きを楽しんでくれました。六月の末山田さんは「北海道の川をあちこち下りに行って来ます」といって屈斜路原野を出発しました。しばらくたった頃、山田さんから一通の葉書が送られてきました。「もしご迷惑でなければこの夏屈斜路原野で使ってもらえないでしょうか」という内容に私は狂喜しました。
 その夏から屈斜路原野のツアーの内容がぐっと充実したことは言うまでもないでしょう。
 それからの二年半いろんな事がありました。また来年来ますといってカヌーで川を下って帰って行く後ろ姿、二月にひょっこりやってきて、三泊四日で滝方面にキャンプに出かけ、まさか帰ってこないだろうと思うくらい激しい吹雪の日に心配されるといけないからといって、予定どうり帰ってきたり。竹ちゃん、ちいぺいさん、てっちゃんにカヌー指導したり、春と秋の内輪でおこなう釧路湿原までのカヌーツーリングではいつも先頭で川の状況を判断して、私たちを誘導してくれたり、そしてどんな所へ行っても、必ず、目の前にある野草や、一瞬で行き過ぎる鳥などの説明をしてくれたこと、たんなるあぜ道もちょっと目を凝らしてみるとおもしろい事を教えてくれました。本当に話し出すときりがないくらいです。
 ここまで書いてみましたが私の胸の中にはこの何十倍何百倍もの想いがつまっていて。それをどう表現すればいいかわからないのが現状であります。
 先に挙げた愛媛新聞の記事を読んでいると、偶然の事故にしてはあまりにも運が悪すぎるような気がしてなりません。もしかすると山田さんは自然界が私たちによこした使者だったような気がしています。私たちが忘れてしまったことを思い出させるためにやってきてくれ、そして、その役目が終わってまた元の世界に帰っていたようなそんな気がしています。
 私にとって一番印象深いのは山田さんの背中です。山田さんが生きていた頃からいつも私の前に山田さんの背中がありました。山田さんが原野にいない時期にどこへ行っても、なぜか山田さんが前を歩いてくれているような気がしていました、おそらくそう思うことでなんだか心強かったのではないかと思います。今までならいつかこの背中を抜かす日が来るのかなと思っていましたが、今となっては永遠の背中となりました。幻を追いかけるつもりはございませんが、山田さんと出会ったことは私の財産であり誇りです。山田さんの頼もしい背中を時々思い出して、山田さんの意志を損なわないように、この屈斜路原野YGHを作り上げていきたいと思っております。
「 朴」
 これは山田さんが私たちに残した最後の言葉です。この一文字にどんな想いがあったのかこれからゆっくり考えてゆきたいと思います。




 はーーいしょう太ですワンワン。ぼくはこの冬も元気にXCスキーにみなさんと行ってきました。鹿をを見つけるといてもたってもいられないぼくは今のところ5頭ほど仕留めてしまいました。和さんには「かわいそうだからいい加減にしておけよ」と言われるんだけれど、ぼくに流れる野生の血がさわぎだすと自分でも止められなくなってしまうのです。それではこの冬のいろんな出来事を紹介していきます。

和さんライヴ!
この冬は、和さんが歌に目覚め毎日、ツアーの説明の後三〇分ほど、歌とお話をしました。最初のうちはよかったんだけど、玄関に寝そべって聞いてるうちに、もっと歌のレパートリーはないのかとか、話の内容が周期的にワンパターンだぞとかヤジを飛ばしてやりたくなりました。だけど、みなさんにとっては新鮮なのかもしれないと思ったらがまんしてやろうとおもいました。しかし、本人は、苦情が出なければ続けると言っており、ぼくが知る範囲ではまだ聞いていないので、夏もやるようです。あーあー今度は夏中あの濁声を聞くのかと思うと、ちょっとブルー、いい夢みれそうにないな。だれか止めてよ〜。

暖冬・暖冬・暖冬
 今年の冬は、何となく暖かな冬でした。雪は例年並に降ったみたいだけど、気温の方がそれほど下がりませんでした。特に1月下旬から2月上旬にかけては、例年だとマイナス三〇度ぐらいまで下がる日があるのに、今年は二〇度止まりといった感じでした。おかげで湖がなかなか凍らなくて氷上散歩ツアーを開始したのが二月十日でYGH始まって以来の遅さでした。それも例年なら二十五aほどある氷も、八aと非常に薄めで、大丈夫だよと言ってる和さんも実はびびりながら歩いているという状況でした。
 また、三月中旬には雨が降り、それが朝の冷え込みで凍ったもんだからXCのツアーはつるつるのアイスバーン状態、転んだときの衝撃が激しかったらしく、みんな顔から血を流していました。まあ寒さに強いぼくにとっては寒すぎず、暑すぎず丁度よい冬だったけど、みなさんには少し物足りなかったかもね。

2.2.2 猛吹雪
ホステラーさんYGHに缶詰
去る二月二十二日、道東地方は激しい吹雪に見舞われました。朝起きると、YGHの外は一面真っ白、空なんだか地面なんだわからないくらいでした。視界はおよそ五b、それでも和さんは何とか送迎の車を出さなければと思い、吹雪の中雪かきを試みましたがYGH前の国道へ続く道へ出てみると、国道までの道が雪で埋まっていました。国道は除雪車が走っているようでしたが、YGHまでの道まで除雪に来るには相当な時間がかかる状況で、しかも、この風と雪では車で外を走るなんて自殺行為に近いものがありました。仕方がないので和さんは、ホステラーさんに事情を説明し、状況に変化が出るまで送迎が行えませんと頭を下げてお詫びしました。ホステラーさんも納得し、とりあえず館内で待機する事になりました。
 ホステラーさんはわりとのんきなもので、生まれて初めて見る吹雪を珍しそうに眺めたり、中には吹雪を体験してくると言ってほんの少し外に出たりする人もおりました。
 午後になって少し吹雪きもおさまりかけ、YGH前の道にも除雪が入ったので、試しに和さんと、佐々木さんが摩周駅まで行ってみることになりました。多少はましだろうと思っていたのですが、頻繁に除雪が入っている国道でさえ吹き溜まりがすぐに出来る状況であたりの景色はまるで地球ではない惑星を走っているようでした。勢いをつけて吹き溜まりを突破したり、地吹雪に視界を奪われたりしながら何とか駅まで行って帰ってくることが出来ました。
 何とか送迎が可能になり、日常の生活に戻ってきたと思った矢先、こんどは摩周駅手前五`のあたりで列車が吹き溜まりにつっこみエンコ。おかげでダイヤは大幅に乱れ、その列車に乗っていた方は五時間も列車の中に閉じこめられてしまいました。結局その日に宿泊される方がすべて到着したのは、午後十一時と言う記録的な遅い時間でありました。翌日XCのツアーに行ったら、ものすごい深雪で、みんなの歩いた後をぼくが歩くとぼくの姿が見えなくなってしまうぐらいでした。ちんぺいさんと佐々木さんはラッセルで壊れかけてました。

うだうだツアー
 この冬、初の試みとして三月中旬頃に「うだうだツアー」というなんだか訳の分からないツアーを実施しました。XCに疲れた方、原野に居るんだけどゴロゴロしてて暇な方などを対象に、和琴半島の湖の氷の上にテントを張って、そこでうだうだするツアーです。お昼にビールを飲みながら原野特製の味噌おでんを囲み和琴温泉に入っていい気分 。ぼくにはあまり向かないツアーだけどみんな楽しそうでした。来年は本格的にするそうです。


実施されたイベント

<<山田さんを偲ぶ会のお知らせ>>

  4月12日に山田さんのお父さんの主催で山田さんを偲ぶ会を滋賀県大津市内で行  うこととなりました。参加希望される方は下記の方法でお申し込み下さい。
***申し込み方法***

幹事:竹地理彦(原野の元ヘルパー) рO75−391−2227
 まで、お電話で直接お問い合わせ、お申し込み下さい。偲ぶ会の詳しい時間、場所な  どは幹事の方からお話しいたします。
4月6日締め切りとなりますのでご注意下さい。

*横浜パーティー開催のお知らせ*
たまには原野の仲間と集まって、北海道の話なんかで盛り上がってみませんか。詳細は下記の通りです。
日時:5月17日 PM6:30頃から
場所:横浜駅界隈
<参加申し込み方法> 葉書に名前、住所、電話番号、横浜パーティー参加希望とお書き込みの上、下記の所までお送り下さい。
〒232 神奈川県横浜市南区六ツ川2-88-24
      大山 明 宛 参加希望者には、追って開催場所などの詳しい連絡があります。
4月30日締め切りとなりますのでご注意下さい。

**支笏湖パーティーのお知らせ**

一年ぶりの道内企画。今回は支笏湖YHに1泊して、カヌーやジンギスカンをして遊ぼうと思っております。アウトドアな二日間をみんなで楽しみましょう!
実施日:5月17.18日
集合場所/時間:支笏湖YHにPM6:00
解散:18日PM2:00頃
参加費用:6000円
(宿泊代、食事、カヌーレンタルなど総 費用込みの金額です)

<<申し込み方法>>
同封の葉書に必要事項をお書き込みの上お送り下さい。また支笏湖まで足の確保の出来ない方は、ご相談に応じますので屈斜路原野ユースゲストハウスまでお電話下さい。たくさんのご参加待ってます。  



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